THE OBJECT

CHISUIAN 智水庵 NANZENJI, KYOTO

はい、前澤さんの京都の別邸です。
でも今日は、この土地に流れている時間の話をします。

智水庵は京都市左京区、南禅寺界隈にある数寄屋の邸宅と庭園です。明治37年(1904)に実業家・横山隆興が所有して以降、昭和50年(1975)からは山本家が長く持ち、平成30年(2018)に新たな所有者へ引き継がれました。庭の作庭は2019年から2025年。本人の言葉では、建物のリノベーションと庭の改修をあわせて「約7年」かかっています。

智水庵は非公開の私有地です。このページには住所・地図・出入口の位置など、現地の特定につながる情報は載せていません。

NUMBERS

数字だけ、先に置きます

  • 1904

    FIRST RECORDED OWNER

    横山隆興が所有[2]

  • 2018

    HANDED OVER

    新たな所有者へ[2]

  • 2019–2025

    GARDEN WORK

    作庭時期[1]

  • 約1,400㎡

    SITE

    敷地面積[1]

  • 約360㎡

    BUILDING

    建築面積・地上2階[1]

  • 約1,000㎡

    GARDEN SCOPE

    庭園の対象面積[1]

面積・階数・作庭時期は、庭園を手がけた植彌加藤造園の公式記載によります。購入価格は公表されていないため扱いません。

01 / THE PEOPLE

ONE OWNER.
MANY LIFETIMES.

一人が所有する。大勢の人生が成立させる。

智水庵は、一つの不動産として一人が所有できます。ただし、できあがっているものの中身は分野ごとに別の専門です。以下は、庭園を手がけた植彌加藤造園が公式に記載している担当の区分です。[1]

  • ARCHITECTURE

    建築計画・設計

    中村拓志&NAP建築設計事務所

    既存の数寄屋をどこまで残し、どこを現代の生活に合わせるかを決める役。すり鉢状の地形と、そこから見える景色の取り込み方が設計の前提になります。

  • CONSTRUCTION

    建築施工

    中村外二工務店

    数寄屋建築の名門として紹介される工務店。規格化された材ではなく、1本ずつ性格の違う木を読んで使う仕事で、図面だけでは引き継げない判断が多く残ります。[3]

  • GARDEN

    庭園計画・設計・施工

    植彌加藤造園FOUNDED 1848

    1848年創業。智水庵に所有の記録が残る1904年より前から続いている会社です。既存の樹木を調べ、植栽計画を立て、池の護岸を直し、石造美術品を入れ替えるところまでが一つの仕事。[9]

  • WATER

    庭園水系設備・設計・施工

    ベルックス

    池・流れ・滝を、水が実際に動く設備として成立させる役。見えるのは水面と音だけですが、止まれば庭は別のものになります。

  • LIGHTING

    庭園ライティング協力

    焔光景デザイン

    夜の庭をどう見せるかの担当。昼に完成した庭を、もう一度夜の条件で設計し直す仕事です。

ONE PERSON CAN OWN ALL OF IT.

NO ONE PERSON CAN MASTER ALL OF IT.

MANY LIFETIMES は比喩ではありません。この場所を支える技術そのものが、ひとりの職業人生より長く受け継がれてきた、という意味です。庭を手がけた会社は1848年から続いています。これは所有者に理解がないという話ではありません。一人の人生に収まらない数の専門が、同じ敷地で一度に動いている、というだけです。

02 / SEVEN YEARS

SEVEN YEARS
IS NOT THE LONG PART.

7年は、この場所でいちばん短い時間

建物の改修と庭の作庭に、約7年。短い工事ではありません。木を1本入れて、翌年の姿を見て、また考える。そういう進め方をすれば、それだけかかります。

リノベや庭の改修に約7年かかりましたが、ようやくそれなりに形になりました。

所有者本人の投稿より[4]

THE GARDEN WASN’T THE ONLY THING TAKING SHAPE.

庭を変える前に、見る側も学ぶ必要がありました。作庭を担当した植彌加藤造園は、この7年を2つのフェーズに分けています。「1つ目は過去を知るフェーズ、2つ目は新たな数寄を実現するフェーズ」。[1]

  1. 2019

    LEARN THE PAST

    既存の樹木や水景、隣接する名園との区割りを歴史的観点から調査研究する[1]

  2. 2021

    A NEW SUKI

    空間の整理がついたところで「新たな数寄を実現するフェーズ」へ入る[1]

  3. VISIT KYOTO'S GARDENS

    オーナーとともに京都市内各所の名園を巡る。理想像を先人の作庭を通して把握する機会になった[1]

  4. 1:1 MOCKUPS / PHOTO COLLAGES

    原寸のモックアップと実写コラージュ画像で提案し、納得を得ながら設計・施工を進める[1]

  5. 2025

    作庭ひと区切り[1]

庭をどう使いたいかを具体的に把握すること。それがこのフェーズで重要だった、と記録されています。発注すれば図面は出てきますが、何を頼めばいいかは、巡って、見て、原寸で確かめてからでないと出てきません。

OWNERSHIP CAN BE BOUGHT.

UNDERSTANDING TAKES TIME.

ただ、この7年を他の時計の隣に置くと、いちばん短いのはこの7年です。それは7年が軽いという意味ではなく、この場所の時間の単位が、人一人の計画よりずっと大きいという意味です。

03 / THE HOUSE

2018年は、この家の最初の年ではない

智水庵は南禅寺の境内地が払い下げられたあとに成立しました。明治初頭の上知令で寺社の領地が国有地となり、そこに政財界の人びとが別邸を構えていった――南禅寺界隈別荘群と呼ばれる一帯です。

  1. 1904

    明治37年

    実業家・横山隆興(1848–1916)が所有[2]

  2. 1975

    昭和50年

    山本家が長らく所有[2]

  3. 2018

    平成30年

    新たな所有者へ引き継がれる[2]

記録に残るだけで、120年。
2018年は、その列のいちばん新しい1行です。

この家にとって所有者の交代は、初めての出来事ではありません。少なくとも3回目です。

04 / KEEP / CHANGE

残すか、直すか、入れ替えるか、足すか

改修を「古いものを新しくした」とまとめると、何も見えなくなります。公式に記載がある範囲で、判断を4つに分けてみます。

KEEP

残す

  • 既存の樹木・植栽を調査したうえで植栽計画を立てた

[1]

ADJUST

直す・調整する

  • 傷んでいた池の護岸など水回りを改修した
  • 滝の音と水量を調整した
  • 既存の蹲踞を再構成して降り蹲踞にした

[1]

REPLACE

入れ替える

  • 灯籠、摩崖仏などの石造美術品を入れ替えた

[1]

INSERT

足す

  • 金地院庭園との敷地境界付近に新たな滝を設けた
  • 母屋前の芝生広場、池の州浜、桜や松を段階的に取り入れた
  • 居間にイサム・ノグチのソファ、客間の床の間に河原温の作品を置いた

[1]

保存は「全部残すこと」ではなく、更新は「全部新しくすること」でもない。7年かかるのは、工事が大きいからではなく、この4つの判断を1か所ずつやっているからです。

居間と客間の調度は Casa BRUTUS の公式記事で確認できた範囲です。誌面に載った他の部屋の仕様は、公式Webで確認できなかったため記載していません。

05 / BORROWED SCENERY

PRIVATE PROPERTY.
BORROWED SCENERY.

敷地は買える。景色は買えない。

智水庵の敷地は界隈では比較的狭く、大きな池を取り巻くように建物が配されています。そのぶん、庭の見え方は敷地の外に強く依存します。隣には南禅寺大寧軒、切通の狭い道の向かいには何有荘。二つの庭の樹木が、そのまま智水庵の眺めに入ってきます。[2]

借景のレイヤー図 智水庵から見える景色を3層に分けた概念図。上から順に、遠景の山の稜線、中景の隣地の樹木、所有の境界線、手前の敷地内の樹木。 境界線より内側にあるのは手前の層だけで、中景と遠景は敷地の外にある。 PROPERTY LINE
上から遠景・中景・近景。実際の地形・位置関係を再現した図ではありません。

PROPERTY

敷地の内側

  • 近景FOREGROUND 智水庵の庭園内の樹木

NOT PROPERTY

敷地の外側

  • 中景MIDGROUND 大寧軒のケヤキ・何有荘の樹木
  • 遠景BACKGROUND 大日山の稜線と青空

ケヤキの樹高を抑えたことで、近景・中景・遠景のレイヤーが整ったとされています。

隣の木の高さを、隣と相談する

庭を整えるにあたって課題になったのは、大寧軒のケヤキの大木でした。それが立っていると、その向こうの景色が隠れてしまう。大寧軒側では外縁を成す樹木で樹高を抑えることに問題はなく、事情を所有者である南禅寺に相談したところ、理解を得ることができた――と、作庭を担当した植彌加藤造園の代表が学会誌に書いています。[2]

THE PROPERTY ENDS HERE.

THE GARDEN DOESN’T.

06 / WATER

水は、敷地の外から来て、敷地の外へ出ていく

南禅寺界隈に別邸が集まったのは、景色だけが理由ではありません。水が来たからです。第1琵琶湖疏水は明治23年(1890)に完成し、水道・水力発電・舟運・かんがい・庭園・防火用水といった役割を担いました。庭園は、疏水の用途のひとつとして最初から数えられています。[7][8]

一帯で共有されているもの

  1. 琵琶湖疏水
  2. 界隈の邸宅へ
  3. 智水庵の池・流れ・滝
  4. 下流の庭へ

一帯は琵琶湖疏水の水系を共有し、個々の邸宅内にその水がめぐっています。そのため、池の掃除のために水を止めると、下流の庭の持ち主に直接的な影響が及ぶ。常にお互いに声を掛け合う必要が生じる――と記録されています。[2]

自分の庭の水を止めるかどうかが、隣の家の予定の話になる。

水は所有の線を無視して流れます。だからこの界隈では、庭の維持は個人の作業であると同時に、近所づきあいでもあります。

図は水の流れの関係だけを示した概念図です。配管や設備の位置は示しません。

07 / TIME

WHOSE CLOCK IS LONGER?

この場所で動いている時計を、並べてみる

所有期間を基準にすると、この場所は「7年のプロジェクト」に見えます。基準を変えると、見え方が変わります。

  • GARDEN庭の手入れ

    EVERY DAY

  • OWNER現在の所有

    2018 → NOW

  • GARDEN WORK改修・作庭

    2019 → 2025

  • RECORDED ESTATE HISTORY記録に残る敷地の履歴

    1904 → NOW

  • BIWA CANAL第1琵琶湖疏水の完成から

    1890 → NOW

  • CRAFT数寄屋と庭の技術

    GENERATIONS

所有者の時計も、この中の1本です。いちばん太い線ではありません。

08 / TWO GARDENS

同じ界隈に、先に進んだ例がある

對龍山荘は、智水庵と同じ南禅寺界隈にある別荘庭園です。現在の所有者はニトリホールディングス。庭園は昭和63年(1988)に国の名勝、建築は2024年に国の重要文化財に指定されています。会長の「広く多くの方々に對龍山荘を見ていただきたい」という意向で、公開に踏み切りました。[5]

TAIRYU-SANSO

對龍山荘

ニトリホールディングス

  1. 2010*

    ニトリホールディングスへ所有権が移る[10]

  2. 2010–2015*

    非公開。主に社員用の保養施設として使われる[10]

  3. 2015

    庭園保存修理事業 開始[6]

  4. 2022

    同 事業 完了(8年)[6]

  5. 2024

    庭園を一般公開[5]

  6. 2025

    建物も一般公開(1月15日)[5]

CHISUIAN

智水庵

個人(非公開)

  1. 2018

    新たな所有者へ引き継がれる[2]

  2. 2019

    作庭 開始[1]

  3. 2025

    作庭 ひと区切り(7年)[1]

  4. 2026

    非公開[1]

  5. 2027 ?

* 2010年の取得は JR東海「そうだ 京都、行こう。」の記載によるもので、一次情報では確認できていません。2015–2022年の保存修理事業(事業報告書)と2024年・2025年の一般公開(對龍山荘公式)は、それぞれの出典で確認した事実です。

NOT A PREDICTION.

JUST THE SAME CALENDAR.

對龍山荘では、修理が終わってから公開まで2年でした。同じ幅を智水庵の2025年の隣に置いてあるだけです。公開の予定を示すものではありません。なお對龍山荘も、所有が移ってから公開までは14年かかっています。

条件は同じではありません。對龍山荘は国指定の名勝で建築も重要文化財、智水庵は非公開の私邸です。どちらが正しいという話でもありません。ただ、民間の所有者が歴史のある庭を取得して長く手を入れたあと、その先に選択肢があることは、同じ界隈ですでに起きています。

09 / NEVER FINISHED

NEVER FINISHED

この庭に、完成という日は来ない

こうした別荘庭園には、完成という概念は似合いません。

植彌加藤造園「智水庵」[1]

建築には竣工日があります。庭にはありません。木は伸び、苔は入れ替わり、水は流れ続け、石のまわりの土も動きます。隣の木も伸びます。手を入れた瞬間から、庭はまた別のものになっていきます。

MAINTENANCE IS NOT AFTERCARE.
IT IS THE WORK.

7年で終わったのは工事です。庭のほうは、終わる種類のものではありません。

建物は引き継がれる。庭師はまた手を入れる。木は伸びる。水は流れる。

OWNERS CHANGE.
MOSS DOESN’T CARE.

SOURCES

出典

  1. [1] 智水庵

    植彌加藤造園(公式・庭園紹介)

    非公開、敷地約1,400㎡、建築約360㎡・地上2階、対象1,000㎡、作庭2019-25年、担当各社の役割、改修内容、「完成という概念は似合いません」の記載はここ。

  2. [2] 「京都岡崎の文化的景観」をはぐくむ地域の活動 — 伝統的庭園の植栽管理を事例に

    加藤友規 / ランドスケープ研究 85巻4号 318-321頁(日本造園学会・2022)

    1904年横山隆興・1975年山本家・2018年継承、大寧軒のケヤキを南禅寺に相談して樹高を抑えた経緯、近景/中景/遠景のレイヤー、疏水の水系共有と「池の掃除で水を止めると下流に影響するので声を掛け合う」の記述はここ。

  3. [3] 前澤友作さんの京都別邸〈智水庵〉が『Casa BRUTUS』7月号の特集「和風モダンを学ぶ。」の表紙に登場!

    Casa BRUTUS(2025年6月4日)

    約7年、すり鉢状の地形、居間のイサム・ノグチのソファ、客間の床の間の河原温。誌面のみの情報は採用していない。

  4. [4] 京都別邸「智水庵」をCasa BRUTUSさんの最新号で特集していただきました(X投稿)

    前澤友作(本人・2025年6月)

    「約7年かかりました」「起伏のある土地形状や東山の借景をうまく取り入れることにこだわりました」。

  5. [5] 對龍山荘 | Tairyusanso Garden

    對龍山荘(公式)

    2024年秋に庭園一般公開、2025年1月15日から建物も公開。所有はニトリホールディングス。1988年国の名勝、2024年建築が重要文化財。七代目小川治兵衛作庭。

  6. [6] 名勝對龍山荘庭園保存修理事業報告書

    ニトリホールディングス(2023年刊)

    平成27年度〜令和4年度(2015-2022)に国庫補助を受けて実施された庭園保存修理事業の報告書。

  7. [7] 琵琶湖疏水の歴史(3)

    京都市上下水道局(公式)

    第1疏水は明治23年(1890)完成。

  8. [8] 琵琶湖疏水のご紹介

    京都市上下水道局(公式)

    疏水が水道・水力発電・舟運・かんがい・庭園・防火用水等の役割を担ってきたこと。

  9. [9] About — Ueyakato Landscape Co., LTD.

    植彌加藤造園(公式・英文会社情報)

    Overview の Established に 1848 の記載。

  10. [10] 對龍山荘 “秘蔵の庭” がいよいよ一般公開スタート!

    そうだ 京都、行こう。(JR東海)

    「平成22年(2010)には、株式会社ニトリホールディングスに所有権が移り」。取得後は主に社員用の保養施設として使われていたこと、公開は似鳥昭雄氏の意向によることの記載。取得年は一次情報では確認できていない。

誤り・不足のご指摘、一次情報URLのご提供を歓迎します。智水庵は非公開の私有地です。現地への問い合わせ・訪問はご遠慮ください(上記[2]の論考にも同趣旨の注記があります)。